豚肉の歴史

 豚肉の保存技術として「ベーコン」が挙げられますが、これは薄切りにした豚肉を冷やすことで水分を抜き、保存に耐えられるようにしたものです。

 一説には、 「中世最高の頭脳」と呼ばれたロジャー・ベーコンが考え出したから……と言われていますが、実のところは、古代フランス語の「背肉」「バラ肉」を意味する baconという言葉から来た、というのが真相のようです。

 ハムの材料を腸詰めにすると、それはソーセージになります。

 ソーセージの語源はラテン語で「塩」を意味するサルススsalsusに由来し、当初は塩漬け肉 のみを使用していたようですが、やがて臭みを抑えるために、バジリコやセージ、胡椒といった香辛料が大量に混ぜられるようになります。

 その名残で、今も ソーセージにはこれでもか!というほど、多種多様な香辛料が使われています。

 ハムとは「太もも」を意味する古代ゲルマン語に由来すると言われ、もとも とは豚の太ももから作った保存食のことを指していました。通称「まんが肉」と呼ばれるものも、恐らくは古代のハムの形から来ているのではないかと思われま す(太い骨に太い肉という部分は他にはありませんから)。
ちなみに、ガリア(現在のフランス近辺)の人々はこのハムに対して並々ならぬ情熱を燃やしたそうで、宴会では一番強い者が、ハムの最も上等な部分を取るな らわしになっていました。誰かがそれに異議を唱えた場合、その異議を唱えた者と最も強い者の間で、死を賭した決闘が行われたそうです。

  また、彼らは豚を神 聖視し、自分たちの神であるヘルメス(メルクリウス)に「豚」を意味するモックゥスの名を与えました。各地に残る神殿跡からも、豚を称える祭壇や、それに 供える奉納物などが発見されています。

 人口の多い場所はともかく、地方はエサと言っても、長い冬を乗り切れるほど用意できるわけではありません。

 特に寒さの厳しくなる地方は、口減ら しとして、あるいは保存食として、冬が近づくと一部の繁殖用を残して、ほぼすべての豚を食肉にし、塩漬けの状態に置いたそうです。

 江戸などの都市部では、「薬食い(滋養強壮)」の一環として豚肉食いが頻繁に行われていたようで、そうした肉を提供する「獣肉屋」は「薬」を求める市民た ちでごった返したようです。

 特に、徳川御三家(水戸家)に生まれ、のちに一橋家の養子となって15代将軍まで上り詰めた徳川(一橋)慶喜は豚肉が大好物 だったそうで、しばしば人々から「豚一さん」とあだ名されていたそうです。

 弥生時代の昔から豚(イノシシ)がしばしば食卓に上りましたが、臭みが強い上に、仏教の普及による獣肉忌避の雰囲気があったので、豚肉そのものはたまに猟師が食べる「珍味」レベルにとどまっていたようです。

 豚もエサを食べれば排泄物を出します。そして、その排泄物はだいたいうち捨てられることが多かったので、裏通りはそうした「豚の落とし物」で大変なことに なったと言いますし、また、エサが足りなければ足りないで、家に勝手に忍び込んで、人間様の食料をあさったり、赤ん坊にかじりついたりするなど、 厄介な事件がたびたび発生したと言います。中には、墓場で死体を掘り返し、その身体をむさぼり食うという不埒な連中もいたそうです。

 危険な豚を、あえて放し飼いにしなければならなかった理由は、ひとえに環境対策のためでした。

中世の都市のほとんどは、下水道やゴミ処理施設が整備されていなかったため、人々は家から出る排泄物や生ゴミを、そのまま街角へ放り出していました。

 辺り は腐敗臭や汚泥に満ちあふれ、その上にさらに新たな「ブツ」が投げ込まれるため、道は常にヌルヌルした状態だったと言いますし、そうした状態を何とかごま かすために、ハイヒールや香水といったものが考え出されたわけですが、そうした事態を何とかするために投入されたのが、「天然の掃除機」こと豚を街に放 し、汚泥を彼らに食べさせることでした。

 汚泥はことごとくエサとして彼らの胃袋に収まり、緊急時には豚自身が人間の食料となって、一石二鳥。少なくとも、 当時の人々はそう思っていたようです。

 当時の豚は「豚」というよりは、むしろ剛毛と大きな牙の生えた「イノシシ」に近いタイプだったようで、人へ突進して大怪我させることも珍しくはありませんでした。

 フランス国王ルイ6世の長子フィリップ王子は、乗っていた馬に放し飼いの豚に突進されて、そのはずみで落馬してしまい、数日後に息を引き取ってい ます。ゆえに彼は「豚に殺された王」と言う不名誉な称号を得ることになってしまいました。

 豚の多くは、ゲルマン(北欧・ドイツ)の森で多く飼われていたのが、ローマに運ばれてきたものです。

 その名残で、ローマが滅んだ後もゲルマン地域では豚が よく飼われていたのですが、中世に入ると都市部でも飼われるようになり、時に檻からから切り離して、放し飼いのような状態で飼われることもあったようです。

 古代ローマでは、豚肉は高級食材であり、貴族や富裕市民は争ってこの肉を食べたと言います。特に、ほとんど子供を産んでいない雌豚の外陰部と乳房は珍味中 の珍味と言われ、古代ローマの著述家プリニウスは、その著書で「初産で、しかも流産した雌豚の外陰部はこの上なく美味である」と書き残しています。

 2世紀 ごろのローマの医師ガレノスは、その味について「人間の味がする」と書き残していますが、実際に食べ較べてみたのかは謎です。

 ヨーロッパでは古代ギリシア・ローマの昔から豚肉がよく食べられていました。

 豚は肉質も柔らかく、繁殖力が非常に旺盛で、1回の出産で10匹前後の子供を産みます。しかも、その子供は1年足らずで大人に成長し、品質も比較的安定しています。また、雑食性で野草から生ゴミ、排泄物まで何でも食べ、エサのコストがあまりかからないということもあって、特に食糧事情の乏しい地域でよく飼 われていました。

ですから、だいたい古代・中世ヨーロッパで「肉」と言えば、だいたい豚肉のことを指していました。中世の農民は、どんなに貧しくても、最低1匹の豚を飼っ ているのが普通だったと言います。